四季で楽しむ江戸グルメ
江戸前の夕鯵売り
鯵は江戸っ子に好まれた江戸前の魚で、夕方日本橋の魚河岸にあがった鮮度のよい鯵が売られていて、○「夕鯵の声は売人(うりて)も生(いき)てはね」(天保4年・1833)
と詠まれている。
日本橋魚市場の近くに住んでいた医師の武井周作は、江戸前の「あぢ」について、
「あぢ 〈略〉春の末より秋の末に至るまでもつとも多い。とりわけ夏月夕河岸のものを酒の肴として珍重する。大きさ一二寸、肥えて円く腹中にあみ海老が満ちている。これをなかふくらといふ。生でも煮ても美味である。上下ともに賞美する」
と記している(『魚鑑』天保2年)。特に夏の鯵は美味で酒の肴に珍重されている。
夕鯵は芝浦にもあがったようで、滝沢馬琴編の『俳諧歳時記』(享和元年・1801)には「夕鯵。江戸芝浦にあがるものなり。夏日、夕猟の鯵を日没せんとする頃より街頭を売り歩く。これを夕河岸といふ。炎暑の時、魚類多くは腐臭す。ゆゑに夕河岸の魚をよしとす」とある。
鯵は塩焼にして食べることも好まれていた。鯵の塩焼は、蓼酢をかけて食べていて、
○「蓼と酢で待つ黄昏(たそがれ)の魚の声」(天保5年)
と蓼酢を作って夕鯵売りの来るのを待ち構えている。
蓼酢は「青蓼の葉を少量の塩を加えてすり鉢ですり、飯粒少量をすりまぜてから裏漉(うらごし)にかけ、酢でのばし」て作った(『江戸料理事典』)。
煮物にするときは、茄子といっしょに煮て食べていたようで、
○「鯵うりが来べき宵だと茄子を買ひ」(文化8年・1811)
と夕鯵に合せて茄子を買い求めている。
江戸っ子は家に居ながらにして生きのよい鯵を買い求めることができ、それを刺身、焼き物、煮物などにして食べていた。
注 引用した句はすべて『誹風柳多留』より
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