四季で楽しむ江戸グルメ

更新日:2022.08.09

うな丼の誕生と芝居町

江戸時代、うな丼は鰻飯と呼ばれていた。やがて、鰻飯はうな丼、うな重と呼ばれるようになって日本人の人気食になっていくが、この鰻飯が売り出されるきっかけを作ったのが大久保今助という人だった。

今助は水戸藩領の農民の子として生まれた。17歳のころ江戸へ出て中間奉公し、26歳ころ老中水野忠成の家老の草履取になる。その後堺町中村座の火縄売(見物人のタバコの火種売り)をしながら倹約をして金銀を貯え、金融業を営んで財をなし、中村座の金主(きんしゅ)(スポンサー)になった。

三代目中村仲蔵の自叙伝『手前味噌』の「中村歌右衛門伝」によると、今助は資金難に苦しんでいた中村座に対し、文化4年(1807)に三代目歌右衛門が大坂から江戸へ下るときの資金を提供し、中村座での興業を実現させたところ、「初日を出せしところ、歌右衛門が芸道江戸の人気にかなひ、割れる程の大入りにて、この歌右衛門を見ぬ人は、恥のやうなり。日数多く興行して、中村屋は芽を吹返し、今助と歌右衛門を神の如く敬ひしとぞ」とあって、大当りをとり、中村座は息を吹き返している。

その後約10年間、今助は堺町中村座の金主として活躍していたが、その間、鰻好きの今助は、焼きざましにならないように、大きな丼の飯の間に蒲焼を挟ませて中村座に届けさせていた(『俗事百工起原(ぞくじひゃっこうきげん)』)。

ちょうどそのころ、葺屋町の裏家に住んでいた人が鰻飯を売り出している。売り出した鰻飯は蒲焼の中入れ(今助スタイル)で、葺屋町は中村座のある堺町に隣り合い、葺屋町には市村座があって、この二つの町は芝居町として賑わっていた。

うな丼は、今から200年ほどまえに今助のアイディアをヒントに芝居町で生まれた。うな丼と歌舞伎は縁が深い。

うな丼
監修・著飯野亮一

うざく(左)と、うな玉(右)
料理紹介

【鰻ざく】材料 2~3人前

鰻蒲焼 1/2匹分
胡瓜  1本
茗荷子 2ケ
生姜  少々
鰹だし 7
酢   4
薄口醤油 1
味醂  1

《調理方法》
胡瓜の種を取り薄い塩水(昆布入)漬けます。
蒲焼を焼いて1センチ幅に切ります。
茗荷子は熱湯にくぐらせてから甘酢に漬けます。

【鰻巻玉子】材料 2本分

鰻蒲焼 1/2匹分
玉子 5ケ
鰹だし 60cc
砂糖 35g
濃口醤油 15cc

《調理方法》
鰻を手前に巻き込みながら玉子を焼いていきます。
焼き上げたら巻すにとり、熱いうちに巻すで形を整えます。
粗熱を取り取り除いたら食べやすい大きさに切ります。
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