|
初鰹については、NO.12とNO.179でもとり上げましたが、今回の絵には、常磐津(ときわず)の師匠の注文で初鰹をおろす、いなせな鰹売りという江戸の庶民の暮らしぶりが描かれています。いなせは漢字で鯔背と書き、勇み肌でいきな若い男性の様子をいい、日本橋魚河岸の若者たちが、イナ(鯔(ぼら)の幼魚)の背のように髷(まげ)を結んだことからといわれています。若い女性2人は常磐津の稽古に来た町娘のようです。
|
|
絵の題は「卯の花月」とあり、卯月(うづき)は旧暦の4月で、現在の5月頃にあたります。絵の上の方の白い花は空木(うつぎ)の花で卯の花と呼び、この季節に咲きます。
家の入口には「常磐津文字やま」と師匠の名が書かれています。常磐津は浄瑠璃の流派の一つで、「男子の名取は常磐津某太夫、女子は常磐津文字某という」と『守貞謾稿』(1853)にあります。また「女子、三絃、浄瑠璃を専らと習ふこと、すでに百余年前よりの習風なり。今世、ますますこの風にて、女子は七、八歳よりこれを学び、母親は特に身心を労して師家に遺る。江戸は特に小民の子といへども必ず一芸を熟せしめ、それをもつて武家に仕へしめ、武家に仕へざれば良縁を結ぶに難く、一芸を学ばざれば武家に仕ゆること難し。これに依り女子専ら三絃、琴の類を学ぶ。男子は親命じてこれを学ばせず。自ら好んでこれを学ぶ者あるのみ。京坂小民の女は、琴は勿論、三絃をも学ばざる者多し。これ武家奉公をすることなき故なり。」
|
|
初鰹の驚くような高値はよく知られていますが、出始めの時期を過ぎると値も下がり、常磐津の師匠も買える値段になったようです。鰹売りは鰹の鮮度がよいうちに売るため、威勢よく走って売っていたといい、「あての有るようにかけ出す鰹売り」「昼までの勝負と歩く初鰹」「初鰹かついだままで見せている」などの川柳があります。
|
|
|