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鰹は回遊魚で、3月頃に九州の南方に現われて、黒潮にのって土佐沖から紀州沖へかかる頃は、まだ脂肪が少ないので鰹節に適し、遠州灘から伊豆半島を過ぎる頃は脂肪がのって初鰹の旬の時期になります。そののち鰹は東北・北海道の南方まで回遊し、秋に水温が下がってくると、もとの南方へ移動して去ります。
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歌舞伎の舞台に初鰹が登場するのは「髪結新三(かみゆいしんざ)」です。本外題は「梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)」で、河竹黙阿弥が三世春錦亭柳橋の人情噺「白子屋政談」を脚本にしたもので、明治6年6月に東京の中村座で初演されています。
新三がお熊を監禁している深川の裏長屋の自分の家に銭湯から帰って来て、そこへ来た魚売りから初鰹を1本買います。魚売りが荷を下して鰹に包丁を入れると、途端に頭がとれて背骨のところから二つに割れて二枚おろしになる早業は、どのような仕掛けなのか面白い場面です。結局鰹の半身は、お熊の身代金30両の半分と一緒に、大家の長兵衛に持っていかれてしまいます。
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新三は初鰹を刺身にして食べていますが、「梅にうぐいす鰹にはからしなり」の句もあるように、初鰹はからしを薬味にした刺身が普通でした。現在では初鰹といえば土佐風の鰹のたたきを連想しますが、江戸時代には「たたき」といえば塩辛のことでした。
土佐風たたきは、三枚におろした鰹を串にさし、藁火(わらび)などでまわりを軽く焼いてから冷やし、塩(醤油)と酢を振りかけて包丁の背でたたき、調味料をしみ込ませてから厚めの刺身にしてならべ、上におろした生姜やにんにく、葱などをのせてたたくというものです。江戸時代にも同様の料理がありましたが、「鰹火焼膾」「鰹刺身」の名で料理書には書かれ、たたきとはよばなかったようです。
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