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豊歳五節句遊(七夕の節句)
香蝶楼国貞
(後の三代目歌川豊国)画 国立国会図書館所蔵
 七夕の由来や、江戸での七夕の行事についてはNO.39NO.88で紹介しましたが、最近味の素食の文化センター所蔵の『五節供稚童講釈(ごせっくおさなこうしゃく)』を読み、七夕について新しい知識も得ましたので、その1部をご紹介します。この本は山東京山作で、歌川国芳と国安が挿絵を描いた、合巻(ごうかん)と呼ばれる草双紙(絵入り物語)で、初編4冊が天保3年(1832)2編4冊が天保4年に刊行されています。五節供や年中行事の故事来歴を子供むきに書いた本ですが、大人も楽しめる内容です。
 「天の川」「鵲(かささぎ)の橋」など、いくつかの項目に分けて書かれていますが、「短冊竹の事」の項は要約すると次の通りです。
 「西北の方へ机を据え、その上に香・花・菓子・果物など七色の品を供えて灯火をかかげ、机の左右に竹を立てて、織女星が機
(はた)を織る材料の五色の糸をかけ渡す。また針を七本梶(かじ)の葉に刺して供え、たらいに水を入れて星の影を映す。供えた針に星の光で糸を通し、すぐ通れば願い事がかなう。また歌を詠んで梶の葉に書き、机の左右に立てた竹に結び付ける。この頃、願い事を色紙や短冊に書いて竹に付けるのは、梶の葉に歌を書いた真似である。」
 短冊竹の風習は江戸時代からのものらしく、『守貞謾稿』(1853)には、江戸では貧富の別なく、毎戸必ず青竹に短冊、色紙をつけて飾るとあります。短冊のほか紙を切ってつくるひょうたんやくくり猿もつけ、竹骨に紙を貼った西瓜やほおずきなどの作り物は売っていたようです。

 京山は、七夕の食べ物について素麺を食べるのは昔からの習慣と書いていますが、七夕の素麺は江戸時代には定着していたようです。
 素麺は現在も健在ですが、街の夜空から星影は失われてしまいました。

 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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