建替え現場から

解体工事を振り返って(2)

 前回に続く「解体工事を振り返って(2)」では、引き続き清水建設さんに話を伺い、建物を解体することで明らかになった"歌舞伎座の姿"を語っていただきました。
 第四期歌舞伎座とはどんな建物だったのか? その構造や当時の技術、第五期に継承するための意匠や錺(かざり)の調査作業は、夜間や早朝、劇場休館日などを利用し、閉館の数ヶ月前から進められ、解体工事が完了した10月まで続きました。

解体工事を振り返って
第四期歌舞伎座の正面、軒下で屋根を支えるのがコンクリート製の垂木。左下写真は垂木を調査したところ空洞となっていた状態。

《清水建設(株) 歌舞伎座計画建設所:調査保存担当者談》
 歌舞伎座の閉館後、解体工事が進められる中での調査保存は危険度も高く、解体業者とのチームワークが大切でした。それに加え、複雑な意匠の歌舞伎座では、調査保存のために、目的の場所で専用の足場を掛けなければならず、お互いの協力が欠かせませんでした。

 第三期の歌舞伎座の屋根が空襲で落ち、第四期の歌舞伎座は、残った柱や壁を補強して建てられたと伺っていましたが、調査してみると、確かに客席を囲む主要な柱、特に正面玄関や2階のロビー周りの柱は、ほぼ全てが第三期のものを補強して再利用されていることがわかりました。 また、ロビーの天井裏など、場所によっては仕上げ材を剥がすと、そこに空襲の際の焼け跡が出てくるなど、戦後直後の姿を目にすることもありました。

 戦後間もない時期の、建築に携わった人達の技術の発見もありました。その一つが、歌舞伎座の屋根の軒下を支えていたコンクリート製の垂木です。第四期に修復された屋根の垂木は、ほとんどが中をくり抜いた空洞となっていました。歌舞伎座の屋根は、土で瓦を固定する本瓦葺きのため相当な重量があり、その分、建物上部の軽量化を図るために工夫されたのではないでしょうか。天井部分のコンクリートも限界まで薄くしてありました。

 下の写真はロビーの柱を薄く削って塗装の調査をしたもの。何層もの年輪のような模様になっていることから、柱が何度か塗り直しされていることが判ります。二度ほど塗り直しを行っているようですが、竣工時の仕上げは漆塗りだったようです(塗り直しの際はカシュー塗り仕上げ)。漆の塗装は塵ひとつなく、湿度管理も徹底した環境で行わないといけません。仕上げは工事の最終段階ですから、竣工直前の慌しい時期の作業だったかもしれません。先人の苦労が偲ばれます。

解体工事を振り返って

 歌舞伎座の外観や内装に施された建築装飾。上の写真(右)に見られる「和」の伝統美を意識した装飾も、当時の左官職人さんにより、全て現場での手作業で成形されたそうです。コンクリートの粗い下地の上に漆喰やモルタルを塗り重ね、曲線一筋にまで丁寧な鏝(コテ)使いで仕上げた意匠は、ひび割れがほとんど見られず、調査に携わった人たちを大変驚かせたそうです。この技術の確かさもぜひ第五期歌舞伎座に継承して頂きたいと思います。調査・保存については、意匠継承のための型取りサンプル採取など、以前紹介していますので、そちらもご覧ください。

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