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左図は江戸時代料理書からの夜食膳の一例ですが、苗字飯(みょうじめし:菜飯や鶏飯のように具を加えてその名をつけた飯)の献立です。
吉野椀の中の苗字飯に役味(薬味)をのせ、汁次(しるつぎ)のかけ汁をかけて食べます。
茶碗もりは吸物、平皿(ひらさら)は煮物、蓋つきの大きい器は飯台(めしつぎ)とあり飯びつです。
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『料理早指南』(1801年刊)より 
味の素食の文化センター所蔵
 

  「宴遊日記別録」の巻1には、食事記録が49日分ありますが、食事は朝餉(あさげ)3回、夕餉(ゆうげ)46回、夜餉(よるげ)43回が記されています。
  現在の食事は朝、昼、夕の3食ですが、江戸時代初期には一般に1日2食で、朝食は現在の時間で午前8時ごろ、夕食は午後5時ごろでしたが、貞享(じょうきょう・1684 - 88年)の前後から夜食が加わり3食になったといわれています。ですから「宴遊日記別録」の夕餉は現在の昼食、夜餉(夜食)は現在の夕食に相当すると考えられます。
  信鴻が芝居見物のために駒込の下屋敷を出発する時刻は、現在の時間で大抵7時から8時ですが、早い日には5時ごろに出かけています。道筋は日によって変わりますが、現在の六義園から人形町あたりまでですから、歩いて2時間くらいかかります。朝餉3回は朝早く出発した日だけで、芝居茶屋での食事はほとんど夕餉と夜餉でした。
  芝居の打ち出し(終演)は大体午後5時から7時ごろで、茶屋に戻って夜餉をとってから午後8時ごろ出発すると、屋敷への帰着は午後10時ごろになります。途中で休んだりして夜中の12時ごろの帰着もありました。

注)

1) 江戸時代の時刻は、その地の日の出、日没を基準にして、昼間と夜間とを別個に等分する不定時法によっていました。時の呼び方もその時刻に打つ鐘の数で、明六つ、暮六つなどと呼びました。本稿ではわかりやすいように、原文の時刻を現在の1日24時間の定時法によって表記しました。
2) 信鴻の芝居見物のお供の人数は5人か6人で、時には20人以上のこともあります。119回の観劇の中で、7、8回は側室のお隆が駕篭(かご)で同行しています。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
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