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【夕餉 】
飯、汁(椎茸・大根)、煮物(初茸・せり)、
茶碗(葛かけ 長芋・木くらげ)、膾(鯔(ボラ))
調理は歌舞伎座紺野料理長
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【夜餉】
飯、汁(椎茸・かぶ)、煮物(はんぺん・くわい) 
焼物(切肉)、漬物(人参)
 
 『宴遊日記別録』から、安永4年(1775)8月16日の芝居茶屋の食事を再現しました。
江戸時代の暦は太陰太陽暦でしたから、8月は現在の9月にあたります。この日は快晴だったので柳沢信鴻(のぶとき)は急に思い立って、午前9時ごろ7人の供を連れて中村座へ観劇に出かけます。幕間には芝居茶屋の松屋で夕餉、暮れ方に打出しになりますが、そのあとの六義園までの帰途の情景は原文で見て下さい。

 「松屋にて夜餉。暮前起行。石町にて六つを聞く。月清光、柳原にて出る。帰路来る時に同じ。両国花火見ゆる。風涼し。鰻堤にて白山の方に出火を気づく。五時(いつつどき)帰家。羊羹・煎餅、珠成・お隆へ土産に遣す。」
寒天を使った練羊羹は19世紀に入って普及するので、土産の羊羹は蒸羊羹、また煎餅は米粉製でなく、瓦煎餅のような小麦粉製のものと考えられます。
 再現した夕餉、夜餉をみると、野菜や茸類が豊富に使われています。『宴遊日記別録』の食事記録に登場する野菜・茸類では、せりが29回、松茸が16回と1、2位を占めています。当時は松茸が大量にとれており、保存法も工夫されていました。夕餉の献立の煮物の材料に初茸とありますが、写真の再現料理では初茸が入手できなかったので、松茸を用いました。
 
 また夜餉の漬物に人参がありますが、江戸時代の人参は16世紀に中国から渡来した細長い長根種の東洋系品種が主で、葉も浸し物などに用いられました。現在は三寸人参などの短根種の欧州系品種が主流ですが、これは江戸時代後期以降に渡来し、明治以降普及したものです。
注)
* 六つは午後6時ごろ、いつつどきは午後8時ごろ。
* 珠成は信鴻の第五子、お隆は側室。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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