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絵の中には「君が代をつきかためたり春のもち」とあります。4人の武者の紋所などから見て餅を搗くのが信長、餅をこねるのが光秀、餅をのすのが秀吉、餅をたべるのが家康という評判が立ち、神君家康の名誉をそこなうものとして、出版後1日たらずで板木は回収されたのだそうです。
道外武者御代の若餅 歌川芳虎画
嘉永2年ごろ(1849)
味の素食の文化センター所蔵
 
  NO.14の菓子の話の中に、搗(つ)き餅と粉餅がありましたが、わかりにくかったようなので、今回は餅をとり上げました。
  餅といえば普通はもち米または、もち性の穀粒(もちあわ・もちきびなど)を蒸して搗いた搗き餅をさします。
  一方、粉餅はうるち米の粉(しん粉)をこねて蒸したもので、柏餅や草餅がこれに相当します。また、韓国の餅は粉餅が多く、中国では餅の字は月餅のように小麦粉加工品の通称であり、国や地域で餅の意味が違っています。
 
  日本では稲作が始まった弥生時代から、もち米を蒸して搗くことは行われていたらしく、古くから神前への供え物や祝い事に餅を用いる習慣があり、室町時代に始まった雑煮で正月を祝う風習も、江戸時代には一般に広まったようです。
  三田村鳶魚(えんぎょ)は「江戸の師走」の中に“八百八町杵(きね)の音”として、年末の江戸が餅搗きで賑やかな様子を書いています。
  15日を過ぎると、大きな商家は自分の家で餅を搗き、一般の民家では菓子屋へ注文する賃餅か、餅搗人足に“引ずり餅”を頼みます。引ずり餅は釜・臼・杵などの道具を持った人足たちが、依頼した家の軒下で餅を搗くもので、江戸の年末の風物詩でもあったようです。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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