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「宴遊日記別録」には、食事記録の中に菓子がよく登場しています。たとえば安永2年11月26日には「夕方桟敷へ芳野屋吉右衛門来、干こうを貰う」とあるように、芝居茶屋の主人や知り合いから菓子を貰ったり、また遣(や)ったりしています。
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干こう の こう とは搗餅(つきもち)でない穀粉で作った粉餅をさしますが、「宴遊日記別録」の中の甘こうと干こうは、生菓子と干菓子をいうようです。 菓子名としては饅頭・羊羹・赤豆餅・葛饅頭・鹿子(かのこ)餅・鯉のや煎餅・八百蔵煎餅・飴などが見えます。この中には私たちに親しい名もあるように、現在の和菓子は江戸後期にはほぼ完成していました。
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江戸初期の『料理物語』(1643)の菓子の部には、玉子そうめん・午房(ごぼう)餅・葛餅・ちまきなど14種の菓子の作り方がありますが、砂糖はまだ貴重でしたから、甘いあんなどは使われていません。
江戸後期の『菓子話船橋』(1841)になると国産砂糖の生産も始まり、小豆の煮方やあんの練り方など、現在に劣らない優れた技法が記されていて、菓子の種類も多彩です。
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今も昔も、和菓子は見て美しく、食べておいしく、そして心をなごやかにしてくれるものとして、多くの人々に愛されています。
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