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日本橋の魚市場については、NO.54で「木曽街道日本橋之曙」の錦絵と共に、起源などについて紹介しています。家康の江戸入府の天正18年(1590)に始まり、市場としての形が整ったのは寛永年間(1624-44)で、元禄以降は江戸の人口の急増と共に繁栄し、大正12年(1923)の関東大震災後に築地に移転するまで、魚市場は日本橋にありました。
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日本橋魚市場は江戸の名所でもあり、江戸初期の「江戸図屏風」や、『江戸名所図会』(1837)にも、その光景が描かれていますが、上の絵では売手と買手の表情までも活写されています。
魚の種類も右側から見ていくと、タイ・アワビ・サザエ・イカ・カレイ・タコ・イセエビなどが判別できますが、右側の盤台(はんだい)の中の黒い魚や、左側の天秤棒で担いでいる黒い大きな魚は何でしょうか。
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江戸時代の魚介類については彩色魚譜の『衆鱗図』(1760頃)や、『本朝食鑑』(1697)、『和漢三才図会』(1712)などの魚の部をふくむ事典もありますが、著者が日本橋の魚市場へ通って見聞して書いた『魚鑑(うおかがみ)』(1831)という本を紹介しましょう。
著者の武井周作は医師でしたが、一般の人々が健康を保つのに役立つ魚介類についての実用書を書きたいと願っていたので、住居を日本橋長浜町に移したのを好機として、近くの魚市場で魚介類を観察し、産地や漁期や食べ方などを尋ね、さらに文献を調べて『魚鑑』を完成しました。133種の魚介類について、いろは順に配列して記述しており、読み物としてもおもしろい本です。
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幕末には、魚市場での写生による図譜『水族写真』(1857)を刊行した奥倉辰行もおり、日本橋魚市場は魚介類研究のための宝庫でもあったようです。
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