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摘み草は「春の野に出て草を摘む」ことで、『万葉集』にも「春日野に煙立つ見ゆをとめらし春野のうはぎ摘みて煮らしも」とあるように、よめな(うはぎ)などを摘む摘み草は、古代から春の行事として親しまれてきました。
現在では野原は都市近郊には見られなくなり、摘み草を知る人は高齢者や、伝統的に摘み草の風習の残る地方の人々に限られているようです。
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上の絵には「二月つみ草」とありますが、旧暦の2月1日は今年は3月10日に当たり、摘み草にはよい気候です。蝶の舞う梅の木の前に立つ女性の抱えた籠の中には、摘みとった草が沢山入っています。江戸時代の人々にとって摘み草は、風流な遊びというよりも、食料としての野草を採取する意味が大きかったようです。
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江戸時代には野菜は青物と呼ばれていましたが、『料理物語』(1643)の青物の部には、現在では野草の、たんぽぽ・よめがはぎ(よめな)・よもぎ・はこべ・なづな・せり・つくつくし(つくし)・わらび・すべりひゆ・あかざなども入っています。
それぞれに適した料理法も記されていて、たとえばよもぎ汁の作り方は、よもぎをざくざくに切って塩を少し入れてもみ洗いするか、またはゆでてもよく、豆腐のさいの目切りなどを加えてみそ汁にするとあります。
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当時野草がよく用いられたのは、野生植物の豊富な自然環境に恵まれていたためでもあり、また飢餓に備えて空腹を満たすことのできる根菜類や果菜類の栽培が重視され、葉茎菜類は野生植物に依存していたと考えることもできるようです。
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