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京都名所の内 通天橋の紅楓
歌川広重画 国立国会図書館所蔵
 
 上の絵は、京都五山の一つ東福寺境内にある通天橋の下で、紅葉を楽しむ人々を描いています。現在では紅葉の名所といえば京都を連想しますが、江戸時代には江戸にも紅葉の名所は数々ありました。
 『東都歳時記』(1838)には、江戸の紅葉の見頃は立冬(今年は11月7日)より7、8日頃より始まるとあり、日を追って見頃となる名所をあげています。
 
 更に詳しいのは『江戸名所花暦』(1826)で、紅葉の名所として下総国葛飾郡の眞間山弘法寺(ぐほうじ)、向嶋の秋葉大権現、滝の川、品川鮫洲の補陀洛山海晏寺(ふだらくさんかいあんじ)、万松山(ばんしょうざん)東海寺などをあげています。
 中でも海晏寺は江戸第一の紅葉の名所で、『江戸名所図会』(1836)にも「海晏寺紅葉見の図」があり、紅葉を眺めながら茶店でお茶を飲む人々や、短冊を持つ風流人などが描かれています。
 通天橋の紅葉狩の絵にも、団扇片手に湯をわかす人が見え、人々の飲食の内容はよくわかりませんが、静かに紅葉を楽しむ風情です。春の花見には花見重詰めもあって賑やかな酒宴が付き物でしたが、紅葉狩にはお茶が主流だったようです。
 当時の茶店のお茶について『守貞謾稿』(1853)には要約すると「京坂の茶店では、粗茶を朝一度煮て終日それを用いる。江戸では客ごとに新しく茶を煮るが、多くは濾茶(こしちゃ)といって小ざるの中に茶を入れ、熱湯をかけて茶をだすので、京坂の茶よりはるかによい」とあり、煎茶は現在のように浸出するほか、煮出して用いていたようです。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
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