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上の錦絵は歌川広重の「東海道五十三次」保永堂版の鞠子で、天保4年(1833)に描かれたものです。広重はこの後も東海道の錦絵シリーズを描き続けて、20種以上もあるそうです。鞠子のとろろ汁の絵も、「行書東海道」の梅の花の咲く茶屋で、2人の旅人がとろろ汁を食べているところ、「竪(たて)絵東海道」の、鞠子の宿にとろろ汁の看板を掛けた店が、何軒も並んでいる光景を描いたものなどもよく知られています。
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鞠子は現在の静岡県丸子で、江戸中期の俳諧集『猿蓑(さるみの)』(1691)にある「梅若菜まりこの宿のとろろ汁」の芭蕉の句で、とろろ汁が名物になったといわれています。
とろろ汁はヤマノイモなどをすりおろして、すまし汁などで薄めた料理で、『日葡辞書』(1603)にも見られて江戸時代以前からあり、現在の私たちにも親しいものです。
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とろろ汁の作り方を江戸時代の料理書で見ると、『料理早指南』(1804)には「すましにても仕立れども、みそのかたあじはひよし。白みそ六分、常のみそ四分すりまぜ、本汁のかげんにだしにて仕かけ、煮かへし漉してよくさまして後、すりたるいもをのべてよし」とあり、江戸時代のとろろ汁は、みそ仕立が多かったようです。
また、青海苔を加えるのは現在と同じですが、吸口には胡椒の粉を用いています。 |
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とろろ汁には麦飯が付き物になっていますが、『名飯部類』(1802)には、とろろ汁には麦飯よりも白米を柔らかに炊いた飯がよいとあり、ことわざにも「麦飯にとろろ汁」と、「新米にとろろ汁」の両方があります。 |
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注) |
ヤマノイモは野生の自然薯(じねんじょ)と呼ばれるものです。現在一般にとろろ汁に用いられているのは栽培種のナガイモです。ナガイモは長薯のほか、大和薯・豊後薯・いちょう薯などの品種があります。 |
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