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江戸両国すずみの図(5枚続のうち3枚)
歌川豊国画 文化年間
国立国会図書館所蔵
 
 両国橋は、万治2年(1659)に隅田川(当時は浅草川)に架橋され、川が武蔵国と下総国の境界であったので、両国橋と呼ばれました。橋の西側には火除地(ひよけち)として両国広小路が設けられ、見世物小屋、芝居小屋、茶屋などがあり、大道芸や物売りなども多く、江戸随一の盛り場でした。
 また両国橋付近は、吹き上げてくる川風で、江戸一番の納涼の場所でした。

 
 両国の川開きは、享保18年(1733)5月28日(旧暦)に悪病退散を祈って行われたのが最初でした。『江戸名所図会』(1836)には両国橋について、「この地の納涼は五月二十八日に始り、八月二十八日に終る。常に賑わしといえども、なかんづく夏月の間は、もっとも盛んなり」とあります。
 上の絵に見られるように、川岸にはよしず張りの茶店が並び、中央には水売りの姿もあります。このあたりで売られていた食べ物としては、冷素麺・ところてん・わらび餅・飴・西瓜・とうもろこし・砂糖水などがあったといいます。
 川には豪華な屋形船や、小さい屋根船が漕ぎ出し、中には物売りらしい船も見えます。
 錦絵の解説によると、最前列の人びとは人気役者の似顔で、当たり役の扮装を取り入れて描かれているそうです。右側の絵の中央の猿廻しは三世中村歌右衛門、中央の水売りは三世尾上菊五郎、左端の侠客梅の由兵衛は沢村源之助(文化八年に四世宗十郎を襲名)の似顔で描かれているとあります。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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