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浅草海苔は江戸の名物として知られていますが、上の絵には品川海苔とあり、二つはどのように違うのでしょうか。
海苔は海中の岩などに着く苔(こけ)状の海藻で、生のままでも食べますが、多くは紙のように抄(す)いて、抄き海苔として食用にします。
『日本山海名物図会』(1754)には、江戸浅草のりについて「此のり元武州品川の海に生ず。品川のりという。浅草のりは品川にて取たるを、此所にて製したる也」とあります。
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紙のように抄いた抄き海苔の製造が浅草で始まったのは享保(1716-36)のころで、浅草は観音の門前町だったため浅草海苔は名物となり、その原料の多くは品川でとれた生海苔でした。
天明(1781-89)のころになると抄き海苔製造の中心が浅草から品川に移り、品川で製造しても浅草へ運んで売れば浅草海苔、品川で売れば品川海苔と呼ばれるようになりました。 |
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料理書で海苔料理を探すと、『料理物語』(1643)には、「ひや汁、あぶりざかな」とあります。生海苔を冷やしたみそ汁に入れたり、乾してあぶり酒肴(さかな)にしたようです。
抄き海苔を使った海苔巻すしは、『献立部類集』(1776)に見られますが、中に入れる具は魚とあり、すだれを使って巻いてから箱に入れて重しをしています。『名飯部類』(1802)には現在とほぼ同様の“紫菜(のり)まきずし”があります。
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また『豆腐百珍』(1782)には、浅草海苔に摺り豆腐を薄くのばし付けて作る“うなぎとうふ”(精進のうなぎかば焼き)があるなど、天明(1781-89)のころから抄き海苔の料理が多彩になっています。 |
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