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恵比須は七福神のひとりで、釣りざおで鯛を釣りあげた姿をしており、商家の守護神。
人物は恵比須に見立てた四世中村芝翫。
背景の擬宝珠(ぎぼうしゅ)は日本橋を示し、当時の魚河岸は日本橋にありました。
 商人七福神恵比須
 豊川国周画、慶応2年(1866)
 財団法人味の素食の文化センター所蔵
 
 潮汁にする魚の第一は鯛ですが、鯛は江戸時代には魚類の中でも第一位とされました。
江戸時代は身分制度のきびしい社会でしたが、魚にも上中下の格付けがありました。
 
 当時の料理書で見ると、現在高級魚とされる値段の高い魚はほぼ上魚になっていますが、フグやマグロは意外にも下魚とされています。フグは中毒することがあるので、マグロは脂が多い魚を当時の人々が嫌ったからという理由のようです。イワシやニシンは当時も下魚とされていました。
 鯛が魚の一位となったのは江戸時代からで、それまでは最高の魚は鯉でした。その理由は、都の京都が海から遠く、入手できる鮮魚は淡水魚であり、その中では鯉が第一で、また鯉を第一とする中国文化の影響ともいわれています。
江戸後期の俳文集『鶉衣』(うずらごろも)の百魚譜には「人は武士、柱は檜(ひ)の木、魚は鯛」とあります。また当時から、姿もよく味もよい鯛は、めでたい魚として祝膳には欠かせないものになっています。天明5年(1785)には『鯛百珍料理秘密箱』という102種の鯛料理を記した本も刊行されています。
注) 鯛はマダイ・チダイ・キダイなどタイ科の総称ですが、ふつうマダイをさします。最近は鯛でなくても鯛と名のつく魚が200種以上あるそうで、アコウダイ・アマダイ・イシダイ・キンメダイなどはタイ科以外のものです。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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