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江戸の元日の歌舞伎について、三田村鳶魚は『江戸年中行事』(1926)の中で、『東都遊覧年中行事』(1851)から次のように引用しています。
「歌舞伎三座とも、翁渡し(おきなわたし)とて座中のこらず麻上下(あさかみしも)にて舞台へならび、座頭、春狂言の名題ならびに役割を読あげ、子役の者踊をなす、見物に料をもとめず。」江戸の三座とは、中村座、市村座、森田座の官許の大芝居をさします。
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『江戸大芝居三座年中行事』(安永6年)には、「二日、春狂言曽我初日、近頃は大方十五日よりはじまる」とありますから、安永(1772-81)ごろから春狂言は15日からになったようです。江戸の三座が初春興行に曽我狂言を上演する慣習ができたのは、享保(1716-36)以後のことでした。 |
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錦絵の歌舞伎役者たちの新年宴会は、隅田川の対岸に三囲(みめぐり)神社の鳥居が見えるので、今戸あたりの料亭と考えられます。天保12年(1841)以降の江戸三座は、浅草の猿若町(待乳山の西側)にありました。 |
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絵の中央の台の上には、刺身らしい料理の大皿と蓋物があり、深鉢の中は和え物でしょうか。右側の鍋物の中身はわかりませんが、蓋の上に散蓮華(ちりれんげ)がのせてあり、その手前には取り皿が重ねてあります。
NO.49の「江戸芝居三階の図」でも、楽屋での役者の酒宴に鍋物がありました。歌舞伎役者は鍋物が好きだったのでしょうか。
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注) |
「翁渡し」は能楽の「翁」を、顔見世や元日などに、歌舞伎風に演じること。 |
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