八百善は文化文政の頃(19世紀初め頃)に江戸で繁盛した料理屋です。料理屋を開業する以前の八百善は、明暦の大火(1657)後に、新鳥越2丁目(山谷)で八百屋を始め、八百屋の善四郎の名から八百善とよばれました。
その後文化年間(1804-18)に仕出し料理屋を始め、文政(1818-30)の初め頃から座敷で客をとる料理屋に発展したようです。
『守貞漫稿』(1853)には「三谷(山谷)の八百善、天保(1830-44)中に自宅に客することを止め、仕出しのみを業とし、嘉永(1848-54)初めより再び自宅に客を請す」とありますから、長年の間には営業の仕方に変遷があったようです。
|
|
4代目の八百善主人栗山善四郎は趣味が広く、当時一流の文人墨客と交流があり、その著書『料理通』には、蜀山人、亀田鵬斎が序文、谷文晁、葛飾北斎、酒井垉一などが挿画を寄せています。 『料理通』は4巻4冊で初編が文政5年(1822)、2編が文政8年、3編が同12年、4編が天保6年(1835)に刊行され、当時の八百善の料理献立を知ることができます。 |
|
『料理通』の初遍の中から、会席料理の秋の献立の1例をあげてみましょう。 |
|
|
鱠 |
|
紙塩鯛薄作り・じゅん菜巻き葉・織切りわさび、煎酒酢。 |
汁 |
|
粒はつたけ・はぜすり流し。 |
椀盛り |
|
うずら摘入れ・笹がき牛蒡・丸しめじ。 |
焼物 |
|
骨抜き鮎の魚田。 |
吸い物 |
|
裂きまつたけ・絞り汁。 |
口取り |
|
火取りのしあわび・桜の葉塩漬け。 |
香の物 |
|
菜漬け・丸うり味噌漬け。 |
硯蓋七色 |
|
鯛かまぼこ・あわびやわらか煮・篠さより・裏白かわたけ・黒くわいきんとん・
ゆずうま煮・朝日防風。 |
|
|