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人物は亀の背に乗り竜宮城へ行ったという浦島で、舞踊「浦島」による。背景は不忍池。
 復元「東都高名会席盡」共文社刊  43「蓬莱屋」
 蔀一義氏所蔵
 
 今年がよい年でありますように、新年の初回はおめでたい名の江戸の料理屋、蓬莱屋(ほうらいや)をご紹介します。
「狂歌会席料理名家双六(すごろく)」の中に、上野仁王門前蓬莱屋亀吉があり、添えられた狂歌は判読にしくのですが「楼(たかどの)の下ゆく池の水にうく亀の背山と見るほうらいや」と読めます。
 
 上野池の端(はた)にあった蓬莱屋は、主人の名も長寿でめでたい亀吉だったこともあり繁盛したようです。当時上野には寛永寺をはじめ寺院が多かったので、蓬莱屋は一般の料理のほか、精進料理でも知られていました。
 精進料理は魚介類や肉類などを用いず、野菜類・海藻類・穀類などの植物性の材料だけで作る料理で、仏教の影響で始まり、鎌倉時代に大陸から禅宗が伝来してから一般へも普及しました。江戸時代には精進料理専門の料理書も刊行され、専門の料理屋もありました。また江戸時代に長崎へ伝えられた中国料理は卓袱(しっぽく)料理、精進の場合は普茶(ふちゃ)料理と呼ばれ、一時はかなり流行したようです。
注) 蓬莱は中国の伝説にある不老不死の仙人が住むという東の海にある島で、江戸時代にはこれをかたどって蓬莱をつくり、正月の飾りにしました。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
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