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「夏月、清冷の泉を汲み、白糖と寒晒粉(かんざらしこ)の団(団子)とを加へ、一椀四文に売る。求めに応じて八文・十二文にも売るは、糖を多く加ふなり。売り詞、“ひやつこい ひやつこい”と云ふ。」『守貞漫稿』(1853)では冷水売りをこのように説明しています。 |
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一般の江戸市民の飲料水は、神田上水、玉川上水などの水道管で供給されており、神田上水は井の頭池を主要水源として寛永6年(1629)に開設され、玉川上水は多摩川の水をとり入れて承応3年(1654)に完成したものです。ともに農村部では開削(かいさく)水路で、市街地に入ってからは地中に埋設した木製の配水管で給水していました。 |
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配水管の所々には水を溜めた水道井戸があって、人々は釣瓶(つるべ)で水を汲み上げて使いましたが、自然に流れてくる水なので、夏はなまぬるく、ごみもまじっていたようで、そのため夏になると冷水売りが繁盛しました。 |
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『守貞漫稿』には江戸の井戸水について概略次のように記しています。「江戸は埋立地が多いので浅井戸の水は塩気がある。地中の岩を貫いた堀抜井戸からは冷たい清水が得られるが、井戸を掘るのに費用がかかる。地中岩より上の水を汲む井戸を中水の井戸といい、この水は夏に鮮魚などを冷やすのに使う」 |
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冷水売りは堀抜井戸の冷たい水を仕入れて、二つの桶に入れて天秤で担ぎ、前の桶には錫(すず)や真鍮(しんちゅう)製の茶碗や、砂糖や白玉団子を入れた屋台と、滝水とか冷水と書いた看板をとりつけていました。 |
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注) |
水売りには、江戸城外濠に放出される上水の余り水を舟で運び、水質の悪い本所、深川方面で1荷(天秤両端の桶)4文程度で売る冷水でない水売りもありました。 |
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