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 志喜初の図 三浦屋内 高尾座舗の躰
 喜多川月麿画 文化(1804-1818)ごろ 「たばこと塩の博物館」所蔵
 新暦の元旦は過ぎましたが、明治5年の改暦まで使われていた旧暦では、今年は2月1日が元旦に当たります。上の絵の「志喜初(しきぞめ)」は「弾き初め」で、1月2日に行われた新年の楽器の弾き始めです。
 
 江戸の風俗を記した『絵本江戸風俗往来』(1905)には、“新吉原の弾きぞめ”として「相かわらずの明烏(あけがらす)、つぐるとし(ひ)としく里の歌女(うたいめ)何れも春に歌かをる新吉原の明保野(あけぼの)色、晴れの上ぎぬ・下ぎぬの縫いの模様もたおやかに、柳の糸の三筋の弾ひぞめ、つづみ・太鼓の三番叟、やわらぐ御代の寿(ことぶき)を、祝うも久し大江戸の正月二日、このしらべを聞かんなどと、通客よべより茶屋に待つなど、今は昔となりにける」とあります。
 絵を見ると、中央の朱塗の大台の上には鯛の姿焼のほか、深鉢や皿の料理が数種見えます。中央の四つ重ねの黒い箱は、重箱にしては浅いので、盛りそばの蒸籠(せいろ)のようです。蒸籠は底に横木が2本あって竹のすのこを敷いたもので、江戸初期には蒸しそばが流行したことから、蒸さなくなっても盛りそばの器として使われています。
 『守貞漫稿』(1853)には、吉原名物として次の7品をあげています。袖の梅(二日酔の薬)、竹村伊勢の巻せんべい、吉原細見(吉原の情報誌)、甘露梅(かんろばい)、増田半次郎のつるべそば、最中(もなか)の月、あげや丁山やの豆腐。甘露梅は梅の実を1つずつ紫蘇の葉で包み、砂糖漬にしたもの、最中の月は最中の皮に近い丸い菓子のようです。
注) 錦絵は三浦屋の高尾の座敷の光景として描かれています。高尾は江戸前期の新吉原の代表的名妓で、初代から数代続いた太夫(最高級遊女)の名です。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
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