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品川松弁新広間祝
五渡亭国貞(三代歌川豊国)画 『魚づくし』組本社刊
 『魚づくし』にはこの絵の題が「品川松弁新広間祝」とあり、解説で松弁を娼家妓楼としています。
 『江戸名所図会』には「品川の駅 江府の喉口にして、東海道五十三駅の首(はじめ)なり。日本橋より二里。南北と分つ。旅舎数百戸軒端を連ね、常に賑はしく、往来の旅客絡繹(らくえき)として絶えず。」とあります。南北と分つとあるように川によって南品川と北品川に分けられており、現在はさらに埋立地の東品川が加わっています。現在の品川駅は当時の海中に位置しています。
 『守貞謾稿』巻22の中には「けだし品川は武府西口の駅家(うまや)にて、官許の妓にあらずといへども、天保の官命にも諸駅家の遊女はこれを禁止されず。昔より妓院を旅宿に用ひ、妓を飯盛(めしもり)女といひて旅客給仕の婢に矯(まげ)る。」とありますから、品川の旅宿は妓楼を兼ね、松弁もその1軒と思われます。
 絵の中の右端の仲居らしい女性と、しっぽく台を運ぶ2人は前掛をしていますが、あとの2人は前掛がなく、髪型や髪飾りから見て遊女のようです。
 料理の中で目立つのは鯛で、生き作りのようにも見えますが、手前に棒状のものがあるので違うようです。『鯛百珍料理秘密箱』(1785)で調べると「鯛の紅焼(べにやき)」が似ています。
 あしらひ物(添え物)として、とう菜の茎か、うどの味噌漬などをあげて、「鯛のかしらより腹の方に置き肴に出し候」とあります。焼き方の概略は「鯛に塩をして塩がしみてから水で洗い、乾かして竹串にさし、火をよくおこした火鉢で焼く。ほぼ焼けた時に新しい荒神箒(こうじんほうき)で、白砂糖を少しまぜた上等の酒を塗り、焼きながら3、4度も塗ると紅色の焦げ色がつく。」とあります。NO.121で紹介した「五大力恋緘」の絵でも、三代歌川豊国はこの絵と同じ鯛を描いています。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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