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錦絵は「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)」の舞台で、右から小まん、笹野三五兵衛、薩摩源五兵衛、まはし方弥助とあり、この芝居は江戸の洲崎の遊郭での出来事となっています。手前の丸い足付きの台には、見事な鯛の姿焼と、中身はわかりませんが漆器の大鉢と磁器の中鉢があります。
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NO.28で、吉原には台の物と呼ばれる料理の仕出しをする、喜の字屋という料理屋があったことを書きましたが、『江戸語大辞典』(1974)には喜の字屋の名の起源について次のようにあります。「日本橋小田原町生まれの喜右衛門なる者が、享保頃吉原仲(なか)の町に台の物屋を始め、評判がよくて繁昌し、人々はこれをしゃれて喜の字屋と呼び、後には専ら台屋と呼ぶようになった。」
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台屋は台の物屋ともいい江戸の、吉原をはじめ遊廓専門の仕出し屋のことです。台の物は大きな台に、皿や鉢に盛った料理をのせたもので、台屋の配達人が運びました。
『守貞謾稿』(1853)は台の物の値段について、1分(約23000円)のものは一分台または大台(おおだい)、2朱(約12000円)のものは二朱台とよんで客に売るが、これは台屋からの値段の約2倍に当たることを記しています。
また、台は円形か方形で、ともに外は朱塗りなどにするとして挿絵を添えています。
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台の物の料理は、客を喜ばせるように派手で凝ったものが多かったようで、錦絵では鯛の姿焼がよく見られます。
『鯛百珍料理秘密箱』(1758)には、紅焼鯛(べにやきたい)として、姿焼の鯛が大体焼けた時に、酒に白砂糖を少しまぜたものを表面に塗って焼き、3、4回くり返すと鯛は紅色になると書かれています。台の物には紅焼鯛なども使われたのでしょうか。
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