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ことわざに「泣く子に飴」「飴とむち」などがあるように、飴は流行語でいえば、“心をいやす”効果が随一の甘いものです。随一といっても上等な菓子ではなく、飴は江戸時代から庶民のものでした。 |
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黄表紙(きびょうし)は、江戸後期の庶民の読み物でしたが、その一つ『名代干菓子山殿(めいだいひがしやまどの)』(1778)は、さまざまな菓子を擬人化して登場人物とした物語で、その中には江戸で流行の飴や飴売りが登場しています。 |
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飴では三官飴(さんがんあめ)、芥子糖(けしとう)、肉桂糖(にっけいとう)、桜飴、だるま糖、大ころばしなどがあります。
飴売りには土平(どへい)飴売り、あまいだ飴売り、お駒飴売り、唐人飴売りなどがあり、飴売りの名は売り声によるものといいます。それぞれに独特の派手な服装で、歌ったり踊ったりして、にぎやかに飴を売り歩いていたようです。 |
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『守貞漫稿』(1853)には飴売りについて、三都(江戸・京都・大坂)とも服装がいろいろなので絵に描きにくく、飴の種類も多い。江戸の飴店は看板にかならず渦巻の絵を描き、行商の飴売りも渦巻を描いているとあります。 |
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上の図の飴売りに扮した13世市村羽左衛門の定紋は橘、替紋は渦巻なので衣裳にもその両方が見られますが、渦巻は飴屋の商標でもあり、その符合におもしろさが感じられます。 |