握りずしの出現は、江戸後期の文政年間(1818-30)といわれていますが、正確なことはわからず、考案者についても諸説があります。 |
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『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』(1830成立)に「文化のはじめ頃、深川六軒ぼりに、松のすし出きて、世上すしの風一変し・・・」とあるのを握りずしの誕生とする説があり、また本所横網に住んでいた華屋与兵衛が考案して「与兵衛ずし」の店を出したともいわれています。 |
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いずれにしても握りずしは江戸の人々の嗜好に合って大流行し、すし屋は屋台店も内店も押しずしをやめて、握りずしを売るようになったといいます。『守貞漫稿』(1853)には、江戸にはすし屋が毎町1、2戸、蕎麦屋は1、2町に1戸とあり、すし屋は繁盛していたようです。そして江戸ずし(握りずし)の有名店として、「松のすし」と「与兵衛ずし」をあげています。 |
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江戸時代の握りずしがどのようなものだったのか、当時の料理書には記述が見当たりませんが、これはすし屋が専門に扱っていたためと考えられます。
作り方はありませんが『守貞漫稿』には、握りずしの材料(すし種)と、9種類の握りずしの絵があります。材料として、鶏卵焼・車海老・海老そぼろ・白魚・まぐろさしみ・こはだ・あなご甘煮をあげ、出来上がりの絵は、現在のものと一見同じように見えます。
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