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歌舞伎に登場する「すし」といえば、いがみの権太の釣瓶(つるべ)ずしです。かねがね見たいと願っていたこの錦絵を鳥越文蔵先生のご配慮で演劇博物館で見せていただくことができ、色鮮やかな実物の美しさに感動しました。右側は五代目松本幸四郎のいがみの権太、左側は五代目岩井半四郎のお里で、文化12年(1815)に江戸の市村座で上演された『義経千本桜』三段目の「すし屋」の場面です。大和国下市(しもいち)村にある釣瓶ずし屋の弥左衛門の息子権太郎は性格がゆがんで(いがんで)いる小悪人なのでいがみの権太と呼ばれています。
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源平の合戦で敗れた平家の三位中将維盛は落ちのびて、弥左衛門の釣瓶ずし屋に弥助の名でかくまわれており、弥左衛門の娘お里は維盛を慕っています。維盛の妻子の供をしてきた家臣の小金吾は、吉野の茶屋で追手に襲われて絶命し、通りかかった弥左衛門は、維盛の身替り首にするために、その首をとって持ち帰り、空のすし桶に隠します。一方権太も母親をだまして貰った金をすし桶に隠しており、帰る時に間違えて首の入ったすし桶を抱えて行きます。
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釣瓶ずしは、NO20の「すしの移り変わり」にあるように、塩漬にした魚を半年以上米飯に漬けて発酵させ、魚だけを食べる馴れずしよりも、漬け込み期間を短くして米飯も魚も食べる生成(なまなれ)の1種です。
魚は鮎を用い、内臓を除いて水洗いして1ヶ月以上塩漬けにし、すしにする前に塩出しをして背骨をとり、酢に浸してから水気をとって米飯を包み、竹皮を敷いた桶に並べ、間に米飯をはさみながら鮎を重ねます。詰め終ったら米飯をかぶせて竹皮で覆い、暫く重石(おもし)をしてから、おさえ板と藤づるでかたく締め、10日くらいおきます。桶の形から釣瓶ずしの名がありますが、作り方は時代と共に変化しているようです。
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