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てんぷらは漢字で天麩羅と書きますが、その起源については定説がありません。
天竺(てんじく)浪人が、ぶらりと江戸に出て来て始めたから天麩羅という『蜘蛛の糸巻(くものいとまき)』(1846刊)にある山東京伝命名説、天麩羅阿希(あぶらあげ)からという『虚南留別志(うそなるべし)』(1843刊)の説、また南蛮語のテムポラ説、テムペロ説、テムプロ説などもあります。
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江戸時代の料理書で、てんぷらの作り方の初出は、私の知る範囲では『黒白精味集(こくびゃくせいみしゅう)』(1746成立)ですが、この本は写本(手書きの本)のため、刊本として普及した『歌仙の組糸』(1748刊)の方がてんぷらの初出として知られています。 |
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てんぷらの作り方は『黒白精味集』には、鯛の切身にうどんの粉(小麦粉)を玉子でねった衣をつけて油で揚げるとあり、『歌仙の組糸』には、何の魚でもうどんの粉をまぶして油で揚げるとあります。これを見ると、現在は“から揚げ”と呼ぶ、材料に粉をまぶして揚げるものもてんぷらと呼んでいたようです。 |
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また、現在でも関東で“さつま揚げ”と呼ぶ、魚のすり身を油で揚げたものを、関西では“てんぷら”と呼ぶ地方がありますが、『守貞漫稿』(1853)にも、京坂では魚のすり身を油で揚げたものを“てんぷら”と呼び、江戸のてんぷらは“つけ揚げ”というとあります。 |
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