|
江戸時代の代表的な農書『農業全書』には「西瓜は昔は日本になし。寛永の末ごろ(1640年ごろ)初めて其種子来り、其後やうやく諸州にひろまる」とありますが、天正7年(1579)に長崎に伝わったとも、14世紀には既にあったともいわれています。 |
|
夏の食べ物として西瓜は江戸時代にも人気がありましたが、現在の西瓜のような甘さはなかったようです。『本朝食鑑』(1697)には、西瓜を半分に割り、果肉をえぐって砂糖を入れ、暫くおいてから食べる方法が書かれています。明治になってから現在の西瓜の親品種が導入され、改良を重ねて甘くておいしい西瓜が普及しました。 |
|
江戸時代には西瓜は大都市の周辺で多く栽培され、江戸近郊では八王子、世田ヶ谷、北沢、亀戸、大森、羽田などが名産地としてあげられています。 |
|
西瓜は産地から市場へは舟でも運んだらしく、坊主頭が大勢集った様子を「西瓜舟の着いたよう」と形容したり、「西瓜のみやげ あけずとも見える也」という川柳もあって、贈答品にも使われたようです。 |
|
夏は食あたりの多い季節のためか、江戸時代の料理書には食禁(食い合わせ)の中に西瓜がよく登場します。「そば切を食し西瓜を食すれば其まま食傷(食あたり)す」「蕎麦に西瓜 苣(ちさ)は半日忌むべき也」「天ぷらに西瓜」などがありますが、現在の常識からすれば、過食しなければ支障はないようです。 |
|
|
|