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上の絵は茶屋の菊見の席で、菊で作られた帆掛船が飾られています。
江戸時代には園芸植物が愛好され、時代によっていろいろな花が流行しました。寛永期には椿、元禄期は楓(かえで)やつつじ、享保期には菊、寛政期にはたちばな、文化期には朝顔、文政期には万年青(おもと)と松葉菊、弘化期には花菖蒲と菊、嘉永期には小万年青と朝顔が流行したといいます。
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花の品評会を花あわせと呼び、菊では菊あわせが催され、また菊人形など飾り物が発達しました。『江戸名所花暦』(1826)には、「巣鴨には植木屋所々にあり。文化のはじめころ、菊にて作り物を工夫せしなり。植木屋ならでも作りたるなり。」とあり、獅子の子落し・布袋(ほてい)の唐子遊び、汐汲の人形、九尾の狐、文覚上人の荒行、富士見西行などを花と葉で作ったとあります。また雑司ケ谷でも鬼子母神の境内や料理屋の奥庭、茶店などが菊を栽培して菊の作り物をつくり、参詣の人々の見物で賑わったとあります。
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NO.141で紹介した『下級武士の食日記』では、主人公の伴四郎は10月7日に友人達と菊見物に出かけますが、行先は百人町(現在の新宿区大久保辺)で、与力や同心の屋敷の庭の菊を見物して見事さを賞讃していますから、菊見にもいろいろあったようです。
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現在でも食用菊はありますが、江戸時代には菊の花は青物(野菜)の1種として料理書にも登場しています。『料理物語』(1643)には「菊のはな さしみによし」とあります。
当時は魚介類に限らず、茸・茄子・葱・こんにゃくや、牡丹・くちなしの花なども、生またはゆでて調味料をつけて食べるものをさしみと呼んでいました。菊の花はさっと茹でて、煎酒(酒に鰹節と梅干を加えて煮立て漉したもの)とわさびを添えています。
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