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重陽(ちょうよう)の節句(節供)は旧暦の9月9日(今年は10月19日に当たる)です。9は縁起のよい陽数(奇数)で、これが月日ともに重なるところからめでたいとされ、平安初期に中国から伝わった行事です。
江戸時代には五節句の一つとして、諸大名以下登城して重陽御祝儀が行われ、菊酒で祝いました。菊酒は菊の花を酒に浸したもので、邪気を払い、寿命を延べると考えられており、重陽は菊の節句とも呼ばれました。
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『馬琴日記』には天保5年(1834)9月9日の記事に「今日、諸神御酒・神燈供献、如例。昼飯赤豆飯・一汁二菜、家内一同、祝之。」とあります。赤豆飯はあずき飯のことです。この日の午後には長女の夫の清右衛門が祝儀の挨拶に来ていますが、清右衛門は前日に重陽の贈り物として栗を1升5合持参しています。次女の夫の久右衛門も栗1升を持参しており、重陽には栗が付き物で、栗の節句とも呼ばれていました。 |
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紀州藩の江戸勤番の下級武士の万延元年(1860)の日記から食に関する部分をまとめた『下級武士の食日記』(青木直己著・NHK出版)を見ると、9月9日には「節句の事ゆえ、直助薬喰し、小豆の煮汁と小豆共に少々貰、赤飯を焚、至極よく出来候。然ところ時期にて魚類はこれなく淋し、鰹節にて祝ひ候。また夕飯に酒を壱合奢り、焼とふふにて呑」とあります。魚がなくて鰹節、酒の肴は焼豆腐で、幕末の武士の生活は苦しかったようです。 |
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長崎の諏訪神社の秋祭は、おくんちの名で知られていますが、おくんちはお九日(おくにち)で重陽の9月9日を尊んでお九日と呼んだものといわれ、現在は10月9日に行われています。全国各地に旧暦の9月9日を収穫の日として祝う例が多く、重陽の節句は形を変えて残っているようです。 |
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