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両国涼船の図
歌川豊国(三代)画 国立国会図書館所蔵
 江戸の両国での納涼は錦絵にもよく描かれており、NO.65NO.66でも紹介しています。上の絵は両国橋の橋脚を背景に、涼み船が2艘と、左手に猿廻しの小船が一艘描かれています。飲食物といえば右端に見える燗徳利(かんとくり)と、その手前の大皿に盛った肴らしいものだけですが、涼み船と猿廻しの取り合わせが珍しいのでとり上げてみました。

 旧暦5月28日から8月28日までの川開きの期間中は、浅草川(隅田川)は両国橋を中心に花火見物や納涼の涼み船で賑わい、小船で酒や食べ物を売るうろうろ船や、おはやしや音曲の芸人の船なども多かったといいますから、猿廻しの船も珍しくなかったのでしょうか。『東都歳事記』(1838)には、納涼の時期の両国には、つなわたり、かるわざ、なんきんあやつり、さるしばい、みせ物などの小屋が並んでいたとあり、江戸の人々の娯楽の場としても賑わっていました。
 現在でも反省をする猿など芸達者な猿は人気がありますが、猿廻しはいつ頃からのものなのでしょうか。鎌倉時代からともいわれますが、桃山時代の「洛中洛外図屏風」の中に、猿を肩にのせた猿廻しが描かれています。江戸時代になると元禄3年(1690)刊の『人倫訓蒙図彙(じんりんきんもうずい)』にも猿舞(さるまわし)が見られます。猿曳(さるひき)ともよばれて、江戸には多く、門付(かどづけ)をしていたといいます。
 涼み船に酒は付き物だったようで、絵の右端には燗徳利が見えますが、酒の燗は直火にかける燗鍋から、湯で燗をするチロリ、チロリの燗酒は金気があるところから陶磁器製の燗徳利へと変遷しました。酒は古来冷酒が普通でしたが、濁酒から清酒が作られた室町末期以降、家々で酒を購入して飲むようになった江戸時代に燗酒の習慣が始まったといわれています。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
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