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 出典『当流料理献立抄』(刊年・著者不明)原典には図の説明はありませんが、
 左の人物は卵の新古の鑑別をしているように見えます。
 江戸時代には王子の扇屋のように、卵焼を名物とする料理屋もあり、卵料理もいろいろありましたが、江戸時代以前には、なぜか卵食用の記録が見当たりません。
 
鶏肉については天武天皇の殺生禁止令(675年)が、牛馬犬猿鶏の食用を禁じていますから、そのころには鶏肉を食べていたのでしょう。
 
 元禄10年(1697)刊の『本朝食鑑』(ほんちょうしょっかん)には、鶏を飼うのは大きいものは闘鶏用、小さいものは愛玩用で、そのほかに卵を生む利点もあるとしていますから、江戸初期には採卵は主目的ではなかったようです。江戸後期になると採卵を目的とした養鶏が行なわれるようになり、都市には鶏卵問屋もできました。
 幕末の『守貞漫稿』(1853)には、湯出鶏卵(ゆでたまご)売りについて「鶏卵の水煮を売る。価大約二十文、詞にたまごたまごという。必ず二声のみ。一声も三声もいわず」とあります。同書には、うどんやそばは1椀16文とありますから、当時の卵は現在とくらべて高価だったことがわかります。
 江戸時代に流行した卵料理に“ふわふわ卵”があります。“卵ふわふわ”とも呼ばれ、将軍家の饗応料理の献立にもあり、弥次喜多の茶店の食事にも登場しています。料理書によって作り方に違いがありますが、とき卵に調味しただしを卵の3分の1から2倍くらい加えて、厚手の鍋に入れ弱火で加熱し、ふんわりと凝固させたものと考えられます。
 このほか卵料理には、貝焼(貝殻を鍋にして魚や野菜を煮て卵でとじたもの)、茶碗焼(現在の茶碗蒸を直火で焼いたもの)、麸の焼玉子(現在の薄焼卵)、包玉子(和紙で崩さない生卵を包みゆでたもの)などがありました。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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