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人物は「須磨都源平躑躅」(すまのみやこげんぺいつつじ)に登場する熊谷直実。京都の扇屋に潜んでいた平敦盛の危急を直実が救う場面があり、扇屋の名が王子の扇屋に通じます。
 復元「東都高名会席盡」共文社刊  11「扇屋」
 蔀一義氏所蔵
 江戸の花の名所、王子の飛鳥山の下には音無川(石神井川)が流れており、対岸の台地には王子権現(王子神社)と王子稲荷社があり、桜の季節以外にも参詣客で賑わいました。王子稲荷社への参道沿いには多くの料理屋や茶店があり、『江戸名所図会』(1834)によると、その光景は概略つぎのようなものです。
 
 「飛鳥橋のあたりの料理屋は建物が立派で、座敷の前には音無川が流れて生洲(いけす)もある。王子稲荷への参詣の帰りには料理屋に寄って宴会をし、酒に酔う人も多い。また夏は川風が涼しいので、炎暑をさける客で賑わっている。」
 王子の料理屋の中でも扇屋は、落語の「王子の狐」にも登場して知られており、現在も営業を続けています。扇屋は初代が農業のかたわら掛茶屋を出したのが始まりで、料理屋になったのは寛政11年(1799)といいます。
 名物は釜焼と呼ばれる卵焼で、独得の作り方があるようです。江戸時代は卵の値段が高く、卵焼は当時の人々にはご馳走でした。
 江戸時代には103種類の卵料理を記した『万宝料理秘密箱』(1785)が出版されたり、多種類の卵料理がありましたが、江戸時代以前には、卵食用の記録は見当たらないようです。
注 1)  江戸時代には卵は普通玉子と書いています。
注 2)  生洲はとった魚を生かして飼っておく所。
注 3)  掛茶屋は小屋がけの茶屋。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
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