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現在は「江戸前」といえば、江戸風の意味に使われていますが、もとは「大川より西、御城より東」の、江戸城前面の地域をさす言葉でした。江戸前の海でとれる魚には、しらうお・あじ・きす・さより・あなごなどがありますが、当時の江戸前の代表はうなぎでした。安永4年(1775)刊の『物類称呼』のうなぎの項には「江戸にては浅草川深川辺の産を江戸前とよびて賞す。他所より出すを旅うなぎと云」とあります。
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以上が江戸の美味の第一をうなぎにした理由ですが、うなぎといえば蒲焼です。蒲焼の作り方は、古いところでは室町時代のものといわれる『大草家料理書』に次のようにあります。「宇治丸かばやきの事。丸にあぶりて後に切也。醤油と酒と交て付る也。又山椒味噌付て出しても吉也。」このように丸のまま串にさして焼いた形が蒲の穂に似ていたのが、蒲焼の語源といわれています。
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丸ごと焼く蒲焼は火の通りも悪くおいしくなかったようで、うなぎを開いて串にさして焼くようになったのは江戸時代からです。『傍廂(かたびさし)』(1853)には「昔は蒲焼もうなぎの口より尾まで、竹串を通して、塩焼にしたるなり。今の魚田楽(うおでんがく)の類なり。さるを、今背より開きて、竹串さしたるなれば、鎧(よろい)の袖、草摺(くさずり)には似れど、蒲の穂には似もつかず。名儀は失へれど、味は無双の美味となれり。これはいにしへにも遙にまされり。わきてこの大江戸なるを極上品とせり。」とあります。
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