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煤(すす)払いは、煤掃き、煤納めともいい、屋内の大掃除をして神棚をはらい清め、正月の準備を始める年末の行事です。平安時代に始まるものといわれますが、江戸時代になって12月13日に行なわれるようになりました。
『増補江戸年中行事』(1803)に「すす納、武家、町方ともに此日専(もっぱら)すすはき也」と12月13日の項にあります。当時は燃料の関係から屋内に煤がたまりやすく、年末には欠かせない行事でした。
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上の絵は、平成15年12月の歌舞伎座の筋書の表紙を飾った錦絵で、35頁には新藤茂氏による表紙の解説があります。素人の私には煤掃きの光景に見えますが、解説によると錦絵の出版は改印によって、安政2年11月とわかり、安政2年10月2日の大地震の翌月にあたるので、絵には大きな荷物を持った人や、鳶口を持った火消し人足もいて、大地震後の光景を描いたものらしいとあります。
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また、背景には浅草寺の屋根や五重の塔が見えるので場所は猿若町、描かれている人物は、当時の人気役者の似顔絵になっているので、大地震後の芝居町の役者達の健在を伝える顔見世とも考えられるとあります。それぞれの人物がどの役者の似顔絵にあたるかは、解説に詳述されています。
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絵の左下には重箱入りの握り飯と、煮染めらしいものが見えます。幕末の江戸の風俗を記した『江戸府内絵本風俗往来』(1905)には煤払いの食べ物について「煤払いの式の膳部は里芋・大根・牛蒡・人参・焼豆腐・田作(ごまめ)の平盛(ひらもり)、豆腐の味噌汁、大根・人参・田作の生酢、塩引鮭の切身の調理にて酒を汲む。勿論家例により大同小異ありと知るべし。また町家にては蕎麦の振舞あり」とあります。このほか、煤払いには鯨汁が付き物という記録もあります。
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