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上の絵は「名所看(見)立十二箇月」の3枚続きの1枚で、菊・紅葉・酉の市・年の市の絵がありますから、9・10・11・12月に相当するようです。
1枚の版画ですが、錦絵と千社札(せんじゃふだ)を8枚貼りまぜた貼交絵(はりまぜえ)で、幕末に流行した形式です。初代広重にも「東海道張交図会」の連作があり、1枚で複数の趣好が楽しめるところから好評だったといいます。
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この絵の3枚続きの他の1枚には「千社見立源氏遊」と書かれた千社札が見え、3枚ともに源氏絵の趣向が見られます。源氏絵は柳亭種彦作、歌川国貞画の『偽紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』の挿絵に題材をとって、主人公光氏(みつうじ)を中心に錦絵に仕立てたものです。この絵の右下の錦絵と右上の千社札に、独特の髪型の光氏が描かれており、その後には半分隠れていますが源氏香の図が見えます。
食べ物の絵は見当たりませんが、江戸の酉の市では縁起物の頭(とう)の芋と黄金餅が売られていました。
酉の市は鷲(おおとり)神社の祭礼で、11月の酉の日に行われ、初酉を一の酉、次を二の酉、三番目の三の酉は年によって有る年と無い年があります。鷲神社は開運の神として信仰されて、酉の市は参詣者で混雑し、熊手や頭の芋、黄金餅などが縁起物として売られました。
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頭の芋は蒸して笹に通して売られ、人の頭(かしら)に立つという名が喜ばれました。頭の芋は里芋の中の親芋子芋兼用の品種で、現在の八つ頭に相当するようです。
黄金餅は粟餅で黄色なので、黄金持に通じるところから縁起がよいとされました。明治34年の『東京風俗志』は、酉の市には黄金餅ではなく、色餅として白・赤・緑の3色の切餅をあげていますから、明治のころには変わったのでしょうか。
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