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音曲町繁花の商人(うちわ絵)
歌川広重戯筆 嘉永6年(1853)  「たばこと塩の博物館」所蔵
 
 11月15日は七五三のお祝で、神社にお参りしたお土産は例外なく千歳飴のようです。千歳飴の始まりについては、文政8年(1825)刊の柳亭種彦の『還魂紙料(かんこうしりょう)』に、千年飴(せんねんあめ)として次のように書かれています。
 「元禄宝永のころ、江戸浅草に七兵衛といふ飴売あり。その飴の名を千年飴、また寿命糖ともいふ。今俗に長袋といふ飴に千歳飴
(せんざいあめ)と書くこと、かの七兵衛に起れり」
 もとは、せんねん飴、せんざい飴で、現在はちとせ飴と呼んでいますが、千年も寿命を保つ飴という意味です。

 
 千歳飴も江戸時代から始まったように、飴は江戸の庶民の代表的菓子で、種類もいろいろありました。現在の国語辞典に記載された飴の種類を『広辞苑第4版』から拾い、飴を省略して列記すると「栗・梅干・翁(おきな)・お多福・お万が・固(かた)・榧(かや)・求肥(ぎゅうひ)・金太郎・下り・笹・晒し・汁・白(しろ)・千年・太白(たいはく)・痰切(たんきり)・千歳・朝鮮・唐人(とうじん)・土平(どへい)・打切(ぶっきり)・べっ甲・豆・水・よかよか・綿」の27種類で、よかよか飴や綿飴など明治以降のものもありますが、ほとんどが江戸時代からのものです。
 上の絵は飴売りが描かれているので選びましたが、次の絵の説明は、服部幸雄先生の『江戸の芝居絵を読む』(1993)から引用させていただきました。
 「この絵はすべて踊りのパロディーになっており、桜の植木を売っているのが関守関兵衛で、客は傾城墨染実は小町桜の精であり「積恋雪関扉
(つもるこいゆきのせきのと)」。「山姥」や「蜘(くも)の糸」もある。釣りしのぶを売っているのは「双面(ふたおもて)」の松若か。とすれば揃いの香の図のデザインの衣裳を着ている客の女はお組ということになるだろう。このように様々な踊りの主役たちが組み込まれている。」
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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