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草津は現在の滋賀県草津市。東海道五十三次も、次の宿場大津を過ぎると終点の京都です。草津は東海道と中山道(なかせんどう)の合流点でもあり、交通の要所で大きな宿場でした。
上の絵の茶店の看板には「うばもちや」とあって大勢の客で賑わい、手前には前ひき後押しの早かご一挺(いっちょう)が見えます。
広重は「狂歌入東海道」でも、草津では「うばもちや」を描いています。
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「うば餅」は「うばが餅」ともよび、『東海道名所記』(1661)にも「かくれなき草津の姥(うば)が餅屋」とあり、江戸前期に既に草津の名物として知られていたようです。
うばが餅の由来話によると、信長に滅ぼされた佐々木義賢から曽孫を託された乳母が、郷里の草津で養育費を得るために餅を作って売り、後に乳母が餅とよばれるようになったといいます。
現在のうばが餅は、やわらかい餅をちぎって小豆のこしあんで包み、その上に乳首の形の白あんをのせたものだそうで、草津市の名物になっています。
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草津の西北にある矢橋(やばせ)は、船で大津へ渡る船着場のある立場(たてば)でしたが、ここには歌舞伎の「恋飛脚大和往来」(人形浄瑠璃では「冥途の飛脚」)にまつわる話があります。
今年6月歌舞伎座公演の「恋飛脚大和往来」では、新口村の場で忠兵衛と梅川が捕手に追われて、降りしきる雪の中に消えて行く美しい場面が印象的でしたが、この芝居のもとになった実際にあった事件は、悲惨なものだったようです。捕らえられた2人は入牢し、男は死罪になり、女は放免になりましたが、その後この矢橋の道で、往き倒れの最後だったといいます。
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