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江戸自慢三十六興 日本橋初鰹
喜翁豊国・歌川広重画  『魚づくし』組本社刊
この絵は、手前の人物は喜翁豊国(晩年の三代目歌川豊国)が、風景は歌川広重が描いています。絵の題に「日本橋初鰹」とあるように、左側の女性は右手に買ったばかりの鰹を持ち、初鰹の季節にふさわしい服装です。右側の男の子は輪まわしという遊びをしています。輪まわしは先端が二またに分かれた棒の先に、古いたが(桶や樽の周囲にはめる竹や金属で作った輪)などの輪を当てて、輪が倒れないようにころがして進ませる子供の遊びです。
寺門靜軒著の『江戸繁昌記』(天保3年刊)は、江戸時代後期の江戸市中の景況を、多数の項目に分けて描写しており、原文は漢文ですが「東洋文庫」の『江戸繁昌記』は、漢字仮名まじり文に書き下し、注解も詳細です。その中の「日本橋魚市」の項目の冒頭の文章は次のように書かれています。
「日本橋は江戸の中央に当る。一都の太極、両岸に剖分(ばいぶん)す。四方の道程、是より算出し、八方の人戸、是より連り建つ。六十四州の人民のあつまる、始めて此の都に入り、始めて此の橋を過ぐる、左顧右眄(さこうべん)し、眼おどろき気奪はる。何を以ってか眼おどろく。西は則ち金城突兀(とつこつ)として、しょう楼(ろう)空にそびゆ。何を以ってか気奪はる。東は則ち酒庫数万、碧瓦蜒々として白壁連接す。正に是れ万里の長城なり。魚船相ひふくみ、集まりて、橋下に泊す。(後略)」
引用が長くなりましたが、この絵の風景の解説にもなる文章です。一都の太極は江戸の中心、剖分は二つに分けることです。金城突兀は江戸城がそびえ立っていることで、絵の右上に江戸城が見えます。その手前には白壁の蔵が並び、日本橋の下には漁船が数隻停泊し、岸には魚市場の賑わいも描かれています。なお、初鰹に熱狂した明和・安永の頃には、市場を経た魚屋の初鰹よりも、品川沖へ船を出し、市場へ向う漁船から買うのを眞の初鰹として珍重したそうです。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
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