バックナンバーへ
戻る


十六むさしの盤面
十六むさしの内・おもひざし
喜翁豊国(三代歌川豊国)画  『魚づくし』組本社刊
「十六むさし」は「十六武蔵」「十六六指」などとも書き、現在はほとんど知られていませんが、江戸時代に流行した碁石のような小石を用いる遊びです。平安時代に中国から伝わった「八道行成(やさすがり)」をもとに、江戸時代に「十六むさし」が考案されたといわれています。
井原西鶴の『西鶴諸国ばなし』(1685年)巻一の「雲中の腕押し」の中に、「箱根の山中に住む短斎坊という百歳余りの修行僧が、いつも十六むさしを慰みに指していたが、ある時年寄りの坊主がやって来て、十六むさしの相手をして遊んだ」という記述があります。
調べてみると、「十六むさし」の遊び方は概略次のようなものです。「盤面の中央に親石1個を置き、周囲に16個の子石を並べる。親は子と子の間をねらって、線のところをひと間ずつ動いて子の間に割り込めば両側の子を取る。子は親が間に入り込まぬようにして親を追いつめ、<牛部屋>あるいは<雪隠(せっちん)>とよぶ三角形の中に追い込んで、動けないようにすれば子の勝。反対に追いつめる力がないまでに子を取られれば子の負けとなる」とあります。
「おもひざし」は思差で、盃を思う相手に差すことをいい、「十六むさし」の指すと、盃を差すとが共通しているからでしょうか。
左上の丸い枠内に見える水色の器は盃洗(はいせん)に見えます。盃洗は「ちょこあらひ」ともよび、酒宴の席で盃を洗いすすぐために水を入れておく器です。
盃は平安時代には土器(かわらけ)が主で、室町時代になると木盃に漆を塗った塗盃になり、宴席では一つの盃を回して飲むのが普通で、盃は盃台に載せて出されました。江戸後期に瀬戸で新製磁器が作られて、染付徳利とともに銘々用の猪口が登場し、盃洗に猪口を数多く浮べて、眺めて楽しむこともあったようです。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
掲載情報の著作権は歌舞伎座に帰属しますので、無断転用を禁止します。
Copyright(C) 2012 松下幸子・歌舞伎座サービス株式会社