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この絵には「艶姿辰巳勝景」とあり、深川(辰巳)の遊里で座敷へ酒肴を運ぶ軽子(かるこ)とよばれる女性が描かれています。NO.260でも同じ国貞(のちの三代豊国)の「辰巳十二時ノ内戌ノ刻」で軽子の絵をとり上げています。大分以前になりますが、NO.14(平成14年6月13日)の月岡芳年の描いた「風俗三十二相おもたさう」も軽子の絵でした。
軽子の錦絵が多いのは、吉原では若い者とよばれる男性のする力の要る仕事を、深川では女性の軽子がしている姿が美しかったからでしょうか。また3枚の錦絵に共通する特色は、運んでいる料理が克明に描かれていることです。
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深川には富岡八幡宮境内の二軒茶屋、洲崎の升屋をはじめ梅本、尾花屋などの料理茶屋がありましたが、いずれも遊女や芸者をよんで遊興のできる揚茶屋を兼ねていたといいます。軽子の運ぶ料理が克明なのは、そのようなことも一因かも知れません。深川の料理茶屋は、江戸湾の魚介類や多種類の川魚を潤沢に得られて、江戸前の味を売り物にしていました。大田南畝(なんぽ)の『俗耳鼓吹(ぞくじくすい)』(1788)の中に升屋の献立がありましたので、献立の前半の膳部までを紹介し、後半の酒肴の部分は書ききれないので省略します。
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天明2年(1782)正月16日に、升屋の開祖宗助が布施氏夫婦子息を招いた時の料理です。
吸物(鯛切め 尾 はた菜 めうど)
硯蓋(かや かち栗 ほだはら ところ いせえび のり巻鮓 さけ鮓 せうが)
小皿(おろし大根 このわた 鮓びてうお 田作りほうづき)
吸物(安こう 昆布芯 黒くわい ぜんまい)
御膳部
向(たら子付 さるほ 昆布 わさび 小猪口に煎酒)
汁(米つみ入 かぶ からとり) 飯
煮物(いりとり鴨 こんにやく 菜)
焼物(あまだい ふきのとう ほうろく焼)
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