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この絵は3枚つづきの錦絵の右側の1枚で、中央には女性2人の絵、左側には魚を網ですくう女性など3人が描かれています。川の上に設けられた床(ゆか)の上で酒宴を楽しむ光景は、見るだけでも涼しさが感じられます。
『都名所図会』には「四条河原の夕涼は六月七日より始り、同十八日に終る。東西の青楼よりは川辺に床を設け灯は星の如く、河原には床几(しょうぎ)をつらねて流光に宴を催し・・・」とあり、この絵は京都の四条河原の夕涼みのようです。なお文中の青楼は妓楼のことで、月日は旧暦ですから六月は真夏です。
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床は茶屋や料理屋などが夏に設けた、川の流れの上に張り出した板張りの涼み台のことで、現在でも京都では夏になると川沿いの料理屋では床を設けているようです。
盆地の京都と違って、江戸の川は平野を流れる大河なので、隅田川の夕涼みには沢山の船が出て賑わいました。『東都歳時記』には五月二十八日に「両国橋の夕涼今日より始り、八月二十八日に終る。ならびに茶屋、見せ物、夜店の始にして、今夜より花火をともす」とあります。
江戸の夏の夕涼みの酒宴は、隅田川に浮かべた屋形船や、川沿いの料理屋で楽しまれていたようです。
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この絵では、料理は右上の刺身らしい大皿のほかは器だけが描かれていますが、かなりぜいたくな酒宴のようです。
中央の女性は男性の持つ盃に、かなり強引に酒を注いでいますが、右手に持っているのは銚子です。『守貞謾稿』に「近世銚子専ら小形なり。ちろりにてあたためこれに移すなり」とあり、ちろりは銅製の湯燗用の円筒形の器です。文政の少し前(1810年代)に燗徳利が尾張の瀬戸でつくられるようになり、一般に銚子は使われなくなりました。
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