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この絵は、中公文庫の浜田義一郎著『江戸たべもの歳時記』(1977)の表紙カバーに使われており、同書の「鮨考」の中にはこの絵についての考察もあります。それによると女性の右手の皿の上には折箱からとり出したすしがあり、一番上に海老の握りずし、その下に玉子の巻ずしが二つ、さらにその下に鯖の押ずしがあると書かれています。
折箱には「あたけ 松のすし」の文字が見え、絵の上部には「をさな子もねだる安宅の松か鮓」とありますから、皿のすしは有名な「松のすし」のすしです。『嬉遊笑覧』(1830)に「文化の初ごろ、深川六軒堀に松が鮓とて出き行はれて、世上の鮓一変しぬ」とある松が鮓は、六軒堀に御船蔵があって安宅(あたけ)丸という大船が置かれていたので六軒堀は安宅河岸(あたけがし)とも呼ばれており、安宅の松のすしともいいました。
それまでは、すしといえば押ずしが主流でしたが、松のすしが握りずしをつくり始め、江戸の人々に好まれて握りずしが流行したといわれています。また『江戸名物詩』の中に「此松のすしは握りすしの初めなるも、昔時押すしの形を存せんとの意か、一人前の盛り皿の中に、必ず押すしを交せり」とあるそうですから、皿の上のすしに巻きずしや押ずしがあることもうなずけます。
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この絵の題は「縞揃女弁慶」とあり、大判錦絵揃物の1枚です。紺屋に生まれた歌川国芳は衣装美への関心が強かったといわれています。弁慶縞はこの絵の女性の着物の柄で、『守貞謾稿』には「弁慶縞 経緯図のごとく織るを弁慶といふ。白紺あるひは紺茶、また紺と浅木等、紺茶を茶弁慶、紺浅木を藍弁慶といふ。小なるは二、三分の筋、大なるは一幅を半白半紺、緯これに準ずるあり。異名して豆腐縞といひ、浴衣にあり。」とあります。なお縞の名は、昔アジア南海中の諸島から伝えられた筋織を島物(縞物)と呼んだからといいます。 |
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