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『魚づくし』には、この絵の題として「日本橋の朝景色」とあります。右上には江戸城があり、遠くには富士山が見え、日本橋の近くには魚市場がありました。一見すると2人の女性が天秤棒で大きな魚を担いでいるように見えますが、担いでいるのは向う側の屈強な2人です。『江戸繁昌記』(1832)記載の、日本橋魚市場に運ばれてきた魚介類の中から大きな魚を探してみると、鯨・鮫類・鮪があり、姿から見て絵の魚は鮫の1種です。
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鮫の種類は多く、日本近海には約120種類の鮫がいるそうで、種類によって大きさが異なり、『日本国語大辞典』には、鱶(ふか)の項目に「大形のサメ類の俗称」とあります。
『魚鑑』(1831)には「さめは総称、又わに又ふかという」とあります。『魚の博物事典』(末広恭雄著・1989)には、サメとフカの違いについて「サメとフカは同じもので、呼び名が違うだけです。正しくはサメ、フカは日本中部以南の地方名です。ワニはサメの古語で、現代でも山陰や北陸地方ではワニと呼ぶ地方もかなりあるようです。」とあります。「因幡(いなば)の白兎」の話に出てくるワニは鰐ではなく鮫のことでした。
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前述したように『魚鑑』(1831)には、鮫の項目はありますが鱶の項目はありません。『本朝朝食鑑』(1697)と『和漢三才図会』(1711)は鮫と鱶を別の魚として扱っています。
『料理物語』(1643)には、「養魚(ふか)は さしみ でんがく」「鮫は さしみ 干けづりもの やきても」とあり別の魚としています。『料理網目調味抄』(1730)と『素人包丁』(1805)には、ふかはありますが鮫はありません。『黒白精味集』(1746)には鮫があり、上中下の下の魚で、摺身にして蒲鉾の材料にするとあります。なお中国料理に使われる鱶鰭(ふかひれ)は鮫の鰭を干したもので、江戸時代から俵物三品(煎海鼠・干鮑・鱶鰭)として長崎から輸出していました。
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