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小魚の中の鮪の涅槃像
歌川芳員 『魚づくし』組本社刊
 大きな鮪が盤台(はんだい)に横たわり、手前にはフグ・ハマグリ・カニ・タイラガイ・イセエビ・イカ・タコなどの魚介類が、頭をたれて集まっています。絵の右上には「小さかなの中にまぐろのねはんぞう」の句が書かれています。涅槃像(ねはんぞう)は涅槃図で、釈迦入滅(臨終)の場面を描いた絵です。涅槃は梵語ニルバーナの音訳で、煩悩の火が吹き消された悟りの境地をいいますが、一般には釈迦の死を意味します。
 本来の涅槃図は涅槃会(釈迦入滅の2月15日に毎年行われる法要)に用いられるもので、東西南北にある各一双の沙羅双樹の下に、頭を左に横たわる釈迦を中心に、釈迦の母摩耶夫人(まやぶにん)、諸菩薩をはじめ一切の生類が嘆き悲しむ光景が描かれています。
 上の絵は鮪を釈迦に見立てて、多くの魚介類がその死を悲しんでいる見立て涅槃図です。見立て涅槃図にはいろいろありますが、江戸中期の画家伊藤若冲(じゃくちゅう)の「果蔬涅槃図」はよく知られています。仏教徒で青物問屋の主人であった若冲の涅槃図は、大根を釈迦に見立てて、カブ・カボチャ・ナス・キウリ・クリ・ミカン・カキその他多くの野菜や果物が、その死を悲しんでいる絵です。
 上の絵で釈迦に見立てられた鮪は、『万葉集』にはシビの名で見られ、古くから食用にされていましたが、江戸時代には下等な魚でした。文化7年(1810)成立の『飛鳥川(あすかがわ)』には「昔はまぐろ食(くい)たるを、人に物語するにも耳に寄てひそかに咄(はなし)たるに、今は歴々の御料理に出るもおかし」とあります。鮪の別名シビの名が嫌われ、脂肪の多い魚は好まれなかったのが下等とされた理由のようで、江戸後期から一般の食膳に上がるようになっても、赤身が好まれ脂肪の多い現在の大トロは嫌われていました。なお、この絵を描いた芳員(よしかず)は、幕末から明治の人です。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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