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伊勢の海士長鮑制の図
歌川豊国(三代目)画 万延元年(1860) 国立国会図書館所蔵
 鮑は古代から日本人に珍重された水産物で、平安中期の法典『延喜式』には、諸国から税として貢進された約40種の鮑の加工品の名があります。鮑の生息する海は岩礁地帯で、アラメ・ワカメなどの生育する荒磯なので産地は限られており、その中でも伊勢国志摩の鮑は古くから知られていました。現在でも鳥羽市国崎町の鮑は、伊勢神宮の神饌として供進されています。
 鮑の漁法はおもに潜水漁で、水に潜る人を男女の総称では海人(あま)と呼び、男は海士(あま)、女は海女(あま)と書きます。
 上の図には「伊勢の海士長鮑(のし)制の図」とありますが、女性ばかりなので海女の方が正しいと思います。『日本山海名産図会』(1799)には、伊勢鰒(あわび)の章に「制長鮑(のしをせいす)」という記述があり、「俗に熨斗の字をかくは誤なり。熨斗は女工の具、衣裳を熨し伸すの器にて火のしのことなり」と述べています。しかし江戸時代も一般には熨斗の字が使われており、現在も熨斗紙などと書いています。
 図には海上に鮑を採る船が見え、右側の海女は採った鮑を運んで来て、中央ではヘラで貝から身をはずしています。身はよく洗ってねばりを除き、身のまわりの固い部分を取り除き、左側の手前の海女がしているように、熨斗刀と呼ぶ包丁で、果物の皮を剥くように外側から渦巻状に長く剥きます。1個の中形鮑で3メートルくらいに剥けるそうです。
 その右隣の海女は剥いた鮑を揃えており、後方ではむしろ上に並べて干しています。生乾きになったら、熨斗の上に竹筒ころがして伸ばし、伸ばすところから「のし」の名があるといいます。
 昔は熨斗鮑は祝膳に供する食べ物でしたが、江戸時代には祝儀の贈り物に添える物になり、現在は鮑とは無縁の紙製や印刷された物になって、贈り物に添えられています。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
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