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東海道五十三次の旅は、江戸から4里18町の川崎に着き、万年屋で昼食をとります。万年屋は奈良茶飯で有名な店で、弥次・北もここで昼食をとり、次に金川の茶店で一休みして塩焼の鯵で酒を飲んでいます。そこで「東海道五十三次の食文化」の会の第2回の献立は、奈良茶飯、豆腐と葱のみそ汁、鯵の塩焼、煮物(高野豆腐・茄子・椎茸・人参・さやえんどう)、香の物(大根みそ漬)にしました。
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旅人が宿場で泊る宿屋には、食事つきの旅籠(はたご)と、食料は客が持参し、自炊のための薪代(木賃)と素泊り料金だけを払う木賃宿とがありました。宿泊費は江戸後期で、旅籠は最高300文くらい、最低100文くらいで、木賃宿は薪代別の素泊りで50文から60文くらいでした。1文を現在の金額に換算するのは難しく、私の調べたところでは、10円から40円と大差があり、15円くらいが適当ではないかと考えています。
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旅籠の夕食は、飯・汁・香の物のほか、皿に焼魚か煮魚、平椀(煮物椀)に野菜の煮物が標準的献立でした。第2回の献立は当時の旅籠の夕食と同じになります。
嘉永元年(1848)春の『伊勢参宮献立道中記』の京都の旅籠の夕食は、飯・汁・香の物のほか、皿に鰆(さわら)の煮付、煮物はゆば、百合根、椎茸でした。この献立形式は香の物も加えて「一汁三菜」と呼び、現在の食事形式の基本になっています。
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奈良茶飯の作り方は『名飯部類』(1802)にあり、炒大豆の皮を除いたものを米に加えて、薄い塩味をつけた茶汁で炊き、茶碗に盛ってから熱い茶汁をかけて食べるとあります。
『本朝食鑑』(1697)には、奈良茶飯は、奈良の東大寺や興福寺の僧舎で作ったのが始まりで、炒大豆のほか、炒黒豆・小豆・焼栗など加えてもよく、感冒・頭痛・気うつにきくとあります。
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