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富士山と松林を背景に、二代目坂東簑助の伊勢参りと、二代目岩井粂三郎の女魚売りが並んでいるこの絵は、見とれてしまう美しさです。所蔵する演劇博物館の錦絵詳細情報には、文政13年(1830)に江戸市村座で上演された「仮名手本忠臣蔵」の八段目の道行とあります。歌舞伎のことはよくわからないので調べてみましたが、八段目の道行は、加古川本蔵の妻の戸無瀬と娘の小浪が東海道を京へ向うもので、むしろ四段目の中の、勘平とおかるの道行の見立のように思われました。
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伊勢参りは伊勢神宮に参詣することで、一般庶民の伊勢参りは鎌倉後期から始まり、江戸時代に盛んになりました。伊勢神宮を信仰したために、病気が治ったり幸運に恵まれたりした人々の、お蔭参り(お礼参り)に始まったといわれ、とくに大規模だったのは慶安3年(1650)、宝永2年(1705)、明和8年(1771)、文政13年(1830)などでした。この絵の芝居が上演された文政13年とも符号するようです。
お蔭参りは農民や奉公人が主体の集団の旅で、参加者の多くは親や主人の許可を得ずに、旅行手形も持たない抜参りでした。旅費も持たずに柄杓(ひしゃく)一本だけ持って道中する者が多く、治安を守るために途中の町では富裕層の人々が金品を与えたり、宿泊の世話もしたといいます。絵の中の坂東簑助も柄杓を1本持っています。
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女魚売りは右手に手鉤(てかぎ)を持ち、左肩に鰹と鮑を入れた盤台(ばんだい)を担いでいます。盤台は魚屋が魚を入れて運ぶのに使う、浅くて広い楕円形のたらいです。魚が鰹とわかるのは、腹部の縞模様からですが、この縞模様は生きている時はあまりはっきり見えず、死ぬと濃く現れてきます。死ぬときに分泌されるアドレナリンの作用で、色素細胞が変化するためらしいといわれていいます。
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