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恋女房染分手綱 香朝楼(三代目歌川国貞)画
早稲田大学演劇博物館蔵。無断転載禁。
(c)The TsubouchiMemorial Museum, WasedaUniversity, All Rights Reserved
 前回と同じく『恋女房染分手綱』の芝居絵ですが、絵師名が前回のものは梧斎、今回は香朝楼となっています。香朝楼は三代目歌川国貞で、大正9年に73歳で歿した人です。
 右側に市川茘枝のしらべ姫、左側に二代目尾上丑之助のじねんじやうの三吉、中央の九代目市川團十郎の重の井は、右手に菓子を盛った高杯を持っています。前回の菓子は落雁に見えましたが、この絵の菓子は縞模様などから有平糖
(あるへいとう)のようです。
 有平糖は室町末期にキリスト教の伝来とともに伝えられた南蛮菓子の1種で、ポルトガル語のアルフェロア(砂糖菓子)が語源といわれています。菓子製法の専門書としては最も古い『古今名物御前菓子秘伝抄』(1718)にある有平糖の作り方を要約すると「上質の氷砂糖を一度洗っておき、その氷砂糖1升(約1.4kg)に水2升(3.6リットル)を加えて煮溶かして絹ふるいで漉し再び煮つめ、匙で少しすくって水で冷やし、薄くのばしてみて折れるくらいになった時に、銅の平鍋にくるみ油を塗った中へ移す。その平鍋を水で冷やして飴状の砂糖液が手につかなくなった時に鍋から取り出し、両手で引きのばし引きのばしして白くなったものを小さく切り、いろいろの形につくる。」
 
有平糖は花・果物・魚介類など精巧な細工物のとして、雛祭などの行事に現在でも用いられています。
 三吉の前にあるのは、しらべ姫を喜ばせた道中双六です。双六は古代に伝来した外来の遊びで、盤上で賽(さい)を振って駒を進める盤双六でしたが、江戸時代になると絵双六が発達しました。絵双六は大形の紙に区画をつくり絵を描いて、振り出しから上りまで賽の目によって駒を進めて勝負するものです。
 
いろいろの趣向のものが工夫され、道中双六は東海道五十三次などの宿駅をたどって上りまで行きつくものです。
 監修・著 松下幸子千葉大学名誉教授
>>松下教授プロフィール
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